※本記事は2025年〇月時点の法令・裁判例・実務動向を踏まえて加筆修正しています。
この記事の目次
1. アルバイトが皿を割ったら?──よくある「弁償」の誤解
昔のドラマやアニメなんかでは、飲食店のアルバイトが皿を割ったりすると、店長が「弁償だ!」と怒鳴るシーンがあったりします。
あるいは感じの悪い店長が「割った分は給料から引いておくから」みたいなこと言うこともあったりしますよね。
会社からすると、その人を雇うのにお金(給与)を払ってるのに、その人のミスのせいでさらにお金を払わないといけない。
当然、頭にくる。その気持ち、わたしもわからないわけではありません。
しかし、フィクションの世界ならともかく、現実の世界では、会社が労働者に壊したものの実費を全額弁償させることは難しいと考えた方が良いでしょう。
2. 報償責任とは何か(会社のリスク負担の考え方)
2.1. 労働者のミスは会社のミスでもある
なぜなら、労働者のミスは会社のミスでもあるからです。
どういうことかというと、人を雇うということは、人を使って利益を得るということでもあります。
そのため、民法715条では人を雇う側、使用者側には「報償責任」というものが発生するとされています。
民法715条(使用者等の責任)
- ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。
- 使用者に代わって事業を監督する者も、前項の責任を負う。
- 前二項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。
報償責任というのは、人を使って利益を得る側が、その損失についても負担しないといけない、という考え方です。
人に命令して利益というの名の美味しい蜜だけ吸って、いざその人がミスして皿を割ったりしたときには、その皿の分のお金を弁償させる、というのは誰がどう考えても理不尽ですからね。
だから、労働者のミスというのは、会社のミスでもあり、会社はそのミスによる損失を負担する責任を負っているわけです。
2.2. 損害賠償を請求することは(一応)可能
とはいえ、会社の備品を壊した労働者に対して、会社が何もできないかといえば、そういうわけではありません。
報償責任があるからといって、労働者のすべてのミスとそれに伴う損害を会社が負担しないといけないわけではないからです。
なので、損害を受けた会社側が損害を与えた労働者に対して、損害賠償を請求すること自体は可能です。
では、どの程度までなら損害を請求することができるのでしょうか。
3. 実際の損害の4分の1が相場
3.1. 報償責任の分、損害賠償の金額は差し引かれる
繰り返しになりますが、前提として、会社には報償責任があります。
報償責任がある、つまり、会社側にも責任があるということは、その責任の分だけ損害賠償の金額は差し引いて考えなければなりません。
交通事故でも10:0なら10側が全額負担ですが、7:3や6:4の場合はお互いで割合分を負担するのと同じです。
3.2. 報償責任を差し引いた損害賠償の相場は損害額の4分の1
では、報償責任によって差し引かれる割合は何を基準にしているかというと、主に以下のものとなります。
- 会社の事業の性格や規模
- 施設の状況
- 労働者の業務内容・労働条件・勤務態度
- 労働者の加害行為の内容
- 労働者の加害行為への、会社の予防措置
上記の項目を考慮に入れた上で、「会社と社員が損害を公平に分担するという観点から相当と認められる限度」でのみ、会社側は労働者に対し損害賠償の請求が可能となるわけです。
そして、損害賠償を請求するのが相当と認められる限度の相場は、実際の損害額の4分の1が相場といわれています(最高裁昭和51年7月8日判決)。※あくまで“目安”であり、事情によって増減することがあります。
4. 労働基準法16条「賠償予定の禁止」に注意
4.1. あらかじめ損害賠償額を決めておくのはダメ
さて、弁償は難しい、でも損害賠償は実際の損害の4分の1程度とはいえ可能。
そうであるなら、注意喚起も兼ねて「○○したら罰金○○万円」、みたいな労働条件を労働契約や就業規則に定めることを考える人もいるかもしれません。
でも、これはむしろ、一番やってはいけないことです。
なぜなら、労働基準法では「賠償予定の禁止」といって、あらかじめ損害賠償額を定めた契約を禁止しているからです。
(賠償予定の禁止)
第十六条 使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。
例えば、「会社の備品を壊したら罰金10万円」みたいな契約は違法なわけです。サッカー選手などのスポーツ選手は移籍金と称して、契約を解約するための違約金がを定められていたりもしますが、あれは労働契約じゃないから許されているだけ。労働契約でやったらアウトなわけです。
一方で、「会社の備品を壊したら損害賠償を求めることがある」という契約は有効となります。
なぜなら、この場合、罰金10万円というような形で損害賠償の額自体は決まっていないからです。
5. 減給処分する際にも注意が必要
5.1. 違反と釣り合わない懲戒処分に注意
また、備品を壊したことについて損害賠償を求めるのではなく、懲戒処分を行うことを考える人もいるでしょう。
懲戒処分を行う場合、その処分が、労働者が犯した違反と釣り合っていなければなりません。
仮に、もしも必要以上の処分をしてしまった場合は、会社の不当な懲戒処分となり、もしも裁判で労使が争うことになれば、会社は不利な立場になります。
5.2. 減給処分を行う場合も注意
また、減給を行う場合も注意が必要です。
というのも、労働基準法91条にあるとおり、減給処分の限界は、平均賃金の半額以下、または、1ヶ月の給与(週給の場合は1週間、日給の場合は1日)の10分の1以下までと定められているからです。
(制裁規定の制限)
第九十一条 就業規則で、労働者に対して減給の制裁を定める場合においては、その減給は、一回の額が平均賃金の一日分の半額を超え、総額が一賃金支払期における賃金の総額の十分の一を超えてはならない。
つまり、1ヶ月の給与が22万円で、就業日数が22日(日給換算すると1日1万円)の労働者の場合、減給できるのは1日5千円です。
なお、これは余談ですが、近年では、減給処分は人権侵害という海外の風潮も踏まえ、減給処分自体を見直す動きも出てきています。
6. ケース別Q&A
6.1. Q 労働契約違反があった場合、損害賠償を請求することは可能ですか
A 労働契約違反時に損害賠償の請求は可能です。ただし、あらかじめその金額を定めておくのは違法です
6.2. Q 内定を辞退した労動者に対して損害賠償を請求することはできますか
A 難しいと考えておいたほうがいいかと思います
内定は、条件付きの労働契約を結んでいると法律上は考えます。つまり、内定辞退は自己都合退職と法的にはほぼ同じで、自己都合退職した労働者に損害賠償請求できないのと同じように、内定辞退者に損害賠償請求することは現実的ではありません。
6.3. Q 社員が社有車で交通事故を起こしました。保険を使わず労働者に修理費を請求しても良いでしょうか
A 請求すること自体は可能ですが、全額は難しいと思ってください
上で述べているとおり、損害賠償の上限は4分の1程度、実務的には1割から2割程度が限度と考えておいた方が安全です。
余談コラム:昔のテレビ番組の「500万円罰金」ケース
閑話休題、むかし「さまぁ〜ずと優香の怪しい××貸しちゃうのかよ!!」という深夜番組で、風俗店の店主が受付だったか女の子付きの運転手だったかの面接をしていたのですが、その面接に来た男性がいかにも軽そうでした。で、強面な感じの店主(といっても、モザイクがかかってましたが)はそれが相当に気に入らなかったようで、「店の女の子に手を出すんじゃねえぞ」みたいなことも相手に言っていたのですが、男性の方はヘラヘラしながら「向こうから来たらしょうがないじゃない」みたいな感じでした。
しかし、お店の商品である女の子に手を出されてはたまらない店主は、それに頭にきて「店の女に手を出したら500万の罰金だからな!」と脅すように言い、男性の方もその額に流石にビビってしまい、さっきまでのヘラヘラ加減が消えてテンション下がりまくり、となっていました。
このような場合、労働契約違反に対して500万円という損害賠償「額」を定めているので立派な労働基準法違反となります。
一方で、「店の女の子に手を出したら損害賠償を請求することがある」と、具体的な金額を定めない場合は法律に違反することにはなりません。
7. 弁償トラブルを避けるために会社が先にやっておくべきこと
7.1. 心理的安全性の確保
そもそもの話として、労働者が何かミスをしたら、会社から損害賠償を請求されるような会社で、労働者は安心して働けるでしょうか。
こういった観点から考えると、そもそも労働者が何かものを壊したら、その分を損害賠償させる、という考え自体が悪手といえます。
それよりも、この会社では緊張せず安心して働ける、という、いわゆる心理的安全性を確保することの方が、弁償トラブルやそれ以外のトラブルを避けることができるといえます。
8. 就業規則へ損害賠償について記載する場合の例
一方で、備えは必要で、会社にとっての一番の備えはやはり就業規則になります。
ただ、例え、就業規則に損害賠償に関する規定がなかったとしても、損害賠償できないというわけではありません。
逆に、損害賠償の規定を定めたはいいが、そこに損害賠償の額が定められていて法令に違反するということもありえます。
なので、規定例としては以下のように、シンプルにまとめておくのが、労働者への注意喚起やリスク管理という意味で一番良いと思われます。
第○条(損害賠償)
従業員が故意または重大な過失によって会社に損害を与えたときは、その全部または一部を賠償させる。また、懲戒処分を受けたことによって、損害の賠償から免れることはできない。
とはいえ、もっと細かいパターンを想定することも可能ですが、そうなると、どうしても就業規則の文言は複雑になりがちです。
実際には、業種や過去のトラブル状況によって「書いておくべき一文」は変わりますので、最終的な文言は社労士など専門家と相談しながら詰めるのが安全です。
9. まとめ:損害賠償よりも「仕組みづくり」でトラブルを防ぐ
労働者がミスをして会社に損害を与えた場合、会社が一切何もできないわけではありません。とはいえ、民法上の報償責任や、労働基準法16条・91条の規制を踏まえると、「壊した分をそのまま実費で弁償させる」「給料から勝手に天引きする」といった対応は、現実的にも法的にもかなりハードルが高いのが実情です。
実務的には、損害額のごく一部を負担してもらうにとどめる、注意指導レベルで終える、そもそも日頃からミスが起きにくい体制や教育を整える、といった「仕組みづくり」でカバーしていく方が、会社と労働者の双方にとって合理的といえるでしょう。
最後に、川嶋事務所では、労働時間の整理や就業規則の整備、運用の見直しなど、実務に沿ったサポートを行っています。
もし自社のルールに不安がある場合や、判断に迷うケースがあれば、お気軽にご相談ください。