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「奇跡の会社」に学ぶ、労災をなくすたった1つの方法

2025年11月17日

労災事故を完全になくすことは可能なのか。

人間が人間である以上、ミスは避けられないのだから、労災をゼロにすることも不可能。わたしもそう思っていました。

しかし、廃棄物処理施設の運用・管理という労災の多い業界でありながら、労災発生率ほぼ0%を維持する会社があります。福岡県にある「株式会社障がい者つくし更生会(以下「つくし更生会」)」という会社です。

今回は、社会保険労務士として、また書籍『奇跡の会社』の執筆に携わった立場から、つくし更生会の那波和夫専務取締役への取材をもとに、労災をなくすための本質的な方法について見ていきます。

 

1. つくし更生会とは:「奇跡の会社」と呼ばれる理由

1.1. 廃棄物処理業界でトップクラスの実績

つくし更生会は、福岡県大野城市と春日市から委託を受け、廃棄物処理施設「春日大野城リサイクルプラザ」の運営・管理を行っています。燃えないゴミやペットボトル、資源ゴミを収集し、手作業で選別、最終処分場への埋め立てまでを担当する、いわば公共事業を行う会社です。

そして、このつくし更生会は書籍で「奇跡の会社」と題されたように、単に労災発生率が低いだけの会社ではありません。

つくし更生会が「奇跡の会社」と呼ばれるか理由の一部を紹介すると以下の通りとなります。

  1. 機械設備の寿命が異常に長い:他の処理施設と比較して、使用している機械の状態が非常に良好
  2. 処分場の環境が圧倒的に良い:通常の処分場ではカラスが群がり悪臭がするのに対し、つくし更生会の処分場にはカラスもおらず、嫌な匂いもしない
  3. 障がい者雇用率100%超:従業員のほとんどが障がい者でありながら、業界トップクラスの品質を実現
  4. 補助金・給付金なしで経営成立:普通の株式会社として、行政からの委託料のみで運営
  5. 労災発生率ほぼ0%:フォークリフトやクレーンなど重機を扱う労災リスクの高い業界で、驚異的な安全記録を達成  など

他にも「奇跡」と呼ばれる理由はあるのですが、長くなるので取りあえずこの記事で必要な情報をまとめるに留めておきます。

 

2. 過去には死亡事故を起こしたことも

ただ、つくし更生会は、創業当初から「奇跡の会社」だったわけではありません。

過去には労災による死亡事故が発生し、行政からの契約を切られかねない危機的状況に陥ったこともありました。この状況を立て直したのが、現在、専務取締役を務める那波和夫氏です。

 

2.1. 「次があったら終わり」という危機感の使い方

会社の存続が危ぶまれる状況。多くの経営者は「次あったら終わりだぞ」「お前ら路頭に迷うんだぞ」とプレッシャーをかけたくなるでしょう。

しかし、那波専務はこうしたアプローチを取りませんでした。

なぜなら、プレッシャーをかけられた状態では、労働者は前向きに働けないからです。むしろ、ミスを恐れて萎縮し、それがかえって労災につながる悪循環を生む、そう考えたわけです。

 

3. 労災をなくす唯一の方法

3.1. 結論は「良い仕事」をしてもらうこと

では、那波専務はどういったアプローチを取ったかというと、それは従業員に「良い仕事をしてもらうこと」でした。

ここでいう、「良い仕事」とは何かというと、以下の2つの条件を満たす仕事を指します。

  1. 前向きな気持ちで働くこと
  2. 正しい手順やルールで仕事を行うこと

 

3.2. なぜ「正しい手順」だけでは不十分なのか

上記の2つのうち2.の「正しい手順やルールで仕事を行う」という点については、安全マニュアルの整備や手順書の作成など、力を入れてる会社は多いと思います。また、ほとんどの機械や工具は、「正しい手順で使用すれば」安全に使えるように設計されています。

しかし、それだけでは正しい手順やルールがあるだけ労働者がそれを守るとは限りません。つまり、正しい手順があるだけでは労災はなくならないわけです

では、正しい手順やルールを守ってもらうにはどうしたらいいのか。そこで必要となるのが、前向きな気持ちで働くということです。

 

4. 前向きに働く

4.1. なぜ前向きに働くことが重要か

プライベートで嫌なことがあった、会社に嫌いな人がいる、こうした心理的な負担があると、人はどうしても気持ちが後ろ向きになります。

こうした気持ちで仕事をしていれば、ミスや見落としをしたり、いつもなら正しい手順やルールを守るのを忘れてしまったりもします。

また、どうしてこんな仕事をしないといけないのだろう、こんな会社のことどうでもいい、という気持ちが労働者にある場合、そもそもミスやルールをどうでもいいものと考えてしまいかねません

このように仕事において、どういった気持ちで向き合うかは、その仕事の生産性を上げる上で非常に重要といえます。だから、前向きな気持ちな気持ち働くことが重要となるわけです。

 

4.2. 経営における「5つのコスト」

実は、これはコストの面からみても証明できます。

これは「行動デザイン」における有名な考え方で、つくし更生会でも実践している内容ですが、会社経営には、以下のとおり、5つのコストがあります。

  1. 金銭的コスト:経費、人件費など
  2. 時間的コスト:業務にかかる時間
  3. 労力的コスト:肉体的な疲労
  4. 頭脳的コスト:脳のリソースの消費
  5. 心理的コスト:精神的な負担やストレス

4.3. 心理的コストが他のすべてのコストを増大させる

上記のうち、最も重要となるものはなんでしょうか。結論から言うと心理的コストです。

すでに述べたように、プライベートで嫌なことがあった、会社に嫌いな人がいる、こうした心理的な負担があると、人間の脳はそれだけでリソースを食われてしまい、頭脳的コストが増大します。

その結果、重要なことを見落としやすくなるなど、精神的な疲れが肉体的な疲労にもつながります。つまり労力的コストが増大した状態です。

そして、このように心身に負荷がかかった状態では正しい手順やルールを守ることを忘れがちになります。

つまり、心理的コストは労働者の前向きに働く気持ちを阻害し、労災の発生率を上げてしまうわけです。

ただ、逆に言えば、心理的コストを下げることができれば、この2つのコストは自動的に下がると考えることもできます。

 

4.4. 労災がないことで生まれる好循環

加えて、労災がほぼゼロということは、

  • 労災対応に追われる時間的コストが下がる
  • 労災で休業して人が抜ける事態がないため金銭的コストも下がる
  • 心理的に安心して働けるためミスが減る

他の2つのコストも下げた上で、上記のような、好循環が生まれます。

つまり、つくし更生会は労災の多い業界で労災ゼロを実現することで、冒頭で述べた業界トップクラスの生産性にも繋げているわけです。

 

5. 心理的コストを下げる2つの柱

では、どうすればこの心理的コストを下げることができるのでしょうか。

つくし更生会が実践している、心理的コストを下げるための方法は大きく2つあります。

 

5.1. 良好な人間関係の構築

人間関係こそが心理的コストに最も影響する要因です。

つくし更生会では、人間関係を良好に保つことに非常に心を砕いており、その結果として「ちょっとしたことでも意見を言い合える土壌」があると那波専務は断言します。

こうした環境では、

  • 業務の改善点を自由に提案できる
  • 人間関係の小さな問題を早期に解決できる
  • 安全衛生に関する懸念を躊躇なく共有できる
  • ミスや異変を隠さず報告できる

上記の通り、社員間や労使間の風通しは非常に良くなります。

特に重要なのが最後の点で、ミスや体調不良を隠さない文化があるため、問題の初期段階で対応できるわけです。

 

具体的な取り組み例

こうした良好な人間関係の構築のため、つくし更生会では、

  • 仕事終わりに「安全に終わって良かったね」と常に声をかける
  • 社員を大事に思っていることを言葉で伝える
  • 顔色を見て体調の変化に気づき、声をかける

といったことを行っているそうですが、こうした小さな積み重ねが、心理的コストを下げることにつながっているわけです。

 

5.2. 仕事の「納得性」の共有

ただ、いくら、人間関係が良好でも、「何のためにこの仕事をしているのだろう」「どうしてこんなことをしないといけないのだろう」、こうした疑問を抱えたままでは、とても前向きには働けません。

特につくし更生会は、人が捨てたゴミを触る仕事です。もし障がい者が「障がいのせいでこんな仕事しかできないんだ」という気持ちで働いていたら、良い仕事はできません。

だからこそ、つくし更生会では常に以下のことを共有しています:

  • 「この仕事にはこれだけの価値がある」
  • 「この仕事がなかったら社会は回っていかない」

もちろん、労災を起こさないことが、いかに社員や会社にとって価値があるかについても、社内で共有されています。

労災の多い業界で、障がい者が大半の会社で労災ほぼゼロという実績は、会社にとって非常に価値があり、顧客に喜ばれ、選ばれる要因となっているのです。

 

あなたの会社はどうか?

新入社員が入ったとき、「この仕事はこういう理由でやっているんですよ」ときちんと説明していますか?

していないとしたら、社員が納得感を持てず、前向きに働けない可能性があります。

 

6. つくし更生会の具体的な安全衛生対策

労災の話をしているのだから、より直接的な安全衛生対策の話を聞きたいと思う人もいるかもしれません。

そのため、つくし更生会が安全衛生対策のために、具体的に何をしているのかを見ていこうと思うのですが、実は、基本的なことはすでに述べたとおりであり、「安全衛生に絞って」何か特別なことをしているかというと、そういうわけではありません。それは、つくし更生会が実際に行っている以下の対策をみてもわかるかと思います。

  • 月1回の安全衛生委員会の開催
  • ISOによる安全衛生への意識の日常化
  • 常に話し合える環境づくり
  • 初期段階での問題対応

どうでしょうか、これらは多くの企業でも実施されている基本的な取り組みかと思います。

 

6.1. なぜつくし更生会だけが成功しているのか

では、一般的な企業と同じことをしているにもかかわらず、つくし更生会だけが成功しているかというと、それは最初に戻りますが、安全衛生を「良い仕事」の一部として捉えている点にあります。

安全衛生のために何か特別なことをしているのではなく、あくまで良い仕事をする、その中に安全衛生も含まれているという考え方なのです。

つまり、安全衛生も、普段の業務改善のうちの1つという位置づけというわけです。

 

7. 「良い仕事」を実現するのは経営者の責任

では、会社は社員に「良い仕事をしろ」「前向きに働け』と言っていればいいのか、それで労災はなくせるのかといえば、答えはノーです。

 

7.1. 労働者に「良い仕事をする」義務はない

例えば、筆者は社会保険労務士なので、社会保険労務士としてのわたしに「うちの社員が前向きに働いてくれない」という相談があったとします。

でも、仕事自体はきちんとしているなら、「それはしょうがないんじゃないですか」としか言えません。

法律的にいったら、労働者には労働契約で書かれた内容以上のことをやる義務はないからです。

 

7.2. 経営者のマネジメントが鍵

一方、コンサルタントでもある筆者に、コンサルタントとして相談を受けたなら話は別です。

「じゃあ、社長さん、どうしていきましょうか。どうしたら前向きになれますかね」という話ができます。

何が言いたいかというと、前向きに働いてもらう、良い仕事をしてもらうのは、法律やマナーではなく、会社のマネジメントの問題なのです。

だからこそ、「納得性」や「人間関係」に対して、会社は会社でコストをかけていかないといけない。そして、つくし更生会は、実際にそれを実践しているのです。

 

8. まとめ:労災ゼロへの道筋

労災をなくすたった1つの方法、それは「良い仕事」をすること。これに尽きます。

そのためには、

  1. 心理的コストを下げる
    • 良好な人間関係の構築
    • 仕事の意義・価値の共有(納得性)
  2. 正しい手順・ルールで仕事を行う環境を整える
    • 何でも言い合える文化
    • 初期段階での問題対応
  3. 経営者がマネジメントにコストをかける
    • 社員の心理的負担を理解する
    • 人間関係に心を砕く
    • 仕事の価値を伝え続ける

以上のことが重要となりますが、これらは決して綺麗事ではありません。つくし更生会という実在の会社が、実際に死亡事故というどん底から這い上がり、労災発生率ほぼ0%を実現した証明された方法なのです。

 

9. 最後に:「奇跡」は再現できる

筆者も制作に関わった書籍『奇跡の会社』(あさ出版)では、つくし更生会のより詳しい取り組みや、那波専務の経営哲学を紹介しています。

また、つくし更生会では会社見学も随時受け入れていますが、その内容はどんな遠方からであっても、福岡まで足を運ぶ価値が十分にあるものです。

あなたの会社でも、「良い仕事」を通じて労災ゼロを実現できる、つくし更生会の事例は、そのことを教えてくれています。

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  • この記事を書いた人

社会保険労務士 川嶋英明

社会保険労務士川嶋事務所の代表。 「会社の成長にとって、社員の幸せが正義」をモットーに、就業規則で会社の土台を作り、人事制度で会社を元気にしていく、社労士兼コンサルタント。 就業規則作成のスペシャリストとして豊富な人事労務の経験を持つ一方、共著・改訂版含めて7冊の著書、新聞や専門誌などでの寄稿実績100件以上あり。

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