※ この記事は2025年12月に加筆修正されたものです。
社労士、特にわたしが日々業務として行っているのは、労使の関係を取り持つためのルール作りがメインです。どうしてそういったことが重要かといえば、労使関係がこじれるとあらゆるリスクがあると考えているからです。
ただ、「リスク」「リスク」とは言うけれども、そして、実際、このサイトで「リスク」と入れて検索をすると、実に100近い記事が見つかりますが(この記事を書いてる段階の話)、では、そもそも「リスク」とは何なのかについて、今回は書いていこうと思います。
リスクとは
リスクは日本語にない概念
そもそも、リスクには日本語訳となる言葉がありません。
これは何を意味しているかというと、日本人や日本語にはこれまでリスクという概念がなかったことを意味しています。そして、概念がないので、外来語としてそのまま使っている。
これが混乱というか、リスクという言葉の理解を阻んでいるように思えます。
リスクの訳は「危険」、というのは中学生でもわかる話ですが、しかし、「化学物質のリスク」とか「訴訟リスク」などという場合の「リスク」をそのまま「危険」と訳しても意味がわからなくなるだけです。
リスクとは確率
「リスクとは、どうしても避けたいことが起きる確率」というのが本書でのリスクの定義です。
「どうしても避けたいこと」というのは基本的には「危険なこと」と考えてかまいません。
ただ、ここでより重要なのはリスクとは「確率」である、という点です。
そう、リスクとは「危険の起こる確率」なのです。
確率なので、どんなに「リスクが高い」ことであっても、心配されることが起きない可能性もある。
その一方で、どんなにリスクが低くても、起きてしまうこともありうる、というのがリスクの悩ましい点です。
ハザード=そのもの固有の危険性
リスクを説明する上で外せないのがハザードです。
(著者はハザードとは別にエンドポイントという言葉を使い、両者を区別していますが、学術的にはともかく一般的にはハザードのほうがより使われていることから、ここではハザードで統一します)
ハザードとは、モノや事象が持っている固有の危険性のことです。
例えば、一部のサソリは人を殺すだけの毒を持った針を尻尾につけています。
サソリは海老や蟹といった甲殻類ではなく、どちらかというとクモの仲間だそうですが、日本にいるようなクモと比べると明らかにハザードレベルは高いといえます。
一方、人を殺すだけの毒がある、という意味ではスズメバチも同様です。
では、一部のサソリとスズメバチではどちらの方がよりハザードレベルは高いのでしょうか。
ハザードとは、モノや事象が持っている固有の危険性のことです。
両者の持っている固有の危険性は「人を殺すだけの毒がある」という点で同じです。
よって、厳密な毒性や致死量のことはともかく、「人を殺すだけの毒がある」という点でいえば、サソリもスズメバチもハザードレベルは同じということになります。
ハザード高≠リスク高
では、サソリとスズメバチ、両者のハザードレベルが一緒だとして、刺されて死ぬリスクまで同じなのでしょうか。
すでに述べたように、リスクとは危険性の起こる確率です。
言い換えれば、サソリが人を刺す確率と、スズメバチが人を刺す確率は同じでしょうか、という話です。
これは、日本に限れば圧倒的にスズメバチのほうが確率が高いといえます。
そもそも、日本に生息する野生のサソリは2種しかおらず、どちらも毒を軽微など串かもたず、生息域も沖縄と小笠原諸島に限られます。
一方のスズメバチは年間で10人から20人の人の命を奪っています。
リスク=ハザード×確率
つまり、ハザードレベルがどれほど高くても、それが起こる確率が低ければリスクは低くなるし、逆もまた然りということです。
ハザードとリスクの関係を公式風にまとめると
リスク=ハザード×確率
なので、ハザードの大きさばかりに目を奪われていると、意思決定時に致命的な失敗をしかねません。
例えば、サソリが怖いからといって、水際作戦で飛行機や船での輸入品や沖縄や小笠原諸島からのものをすべてを徹底的にチェックした結果、本州等へのサソリの侵入は防げたけど、結果、スズメバチ対策が疎かになって死亡事故が増えました、では意味が無いわけです。
参照:厚生労働省
リスクとの付き合い方
リスクはゼロにできない
繰り返しになりますが、リスクは確率です。
リスクが確率である以上、どんなに低くしても危険を回避できない可能性が残ります。
であれば、リスクをゼロにすればいい、という話になるかもしれません。
しかし、リスクをゼロにすることで生まれる問題もあります。
ゼロリスクの東海地震対策のリスク
例えば、わたしの住む名古屋市における東海地震というリスクについて考えてみましょう。
名古屋市やその周辺は人口も多いため、東海地震が起これば大きな被害が出るでしょう。
東海地震でもしも、少なくとも人的被害だけでもゼロにしたければ、東海地震で被害が予想される地域から全員を避難させるしかありません。
建造物の耐震化を進めるという手もありますが、市内にあるすべての建造物の耐震化を進めようと思ったらいくら予算があっても足らないので、死傷者が出るリスクをゼロにしたいのであれば、避難させるしかない。
しかし、日本でも有数の大都市であり、製造業が盛んな名古屋市から人がいなくなると、その経済的損失は莫大なものになります。
経済的損失による失業や、景気の後退といったリスクは、いつ起こるかわらからない大地震の対価としては妥当なものなのでしょうか。
エンドポイントを揃えて異なるリスクを比較する
上の例は、言うなれば、人命を取るか、経済(お金)を取るかという話です。
しかし、人命と経済では尺度が異なるので、簡単に比較することはできません。
(こういう話をするとノータイムで「人命」という人がいますが、それはちょっと待て)
しかし、エンドポイントを揃えれば比較できないことはありません。
例えば、大きな経済的損失があった場合、失業や十分な公的サービスが受けられないことによる人的損害がありえます。
逆に、地震により大勢の人が亡くなることによる経済的損失もあります。あまり考えたくないことですが、会社の従業員が地震で半分亡くなってしまったとなれば、どのような規模の会社であっても、以前と同じ規模で操業することは難しいでしょう。
このように、大きな地震、というハザードには人的被害はもちろん、経済的損失も含まれています。
これは地震にかぎらず、多くのハザードがそうで、どのようなハザードにも大抵、複数の種類の有害性があります。
その中から1つに絞って比較するのがエンドポイントを揃えるということなのです。
AよりBの方が危険というのであれば、エンドポイントを揃えてリスクを計算しなければなにも意味がありません。
全体のリスクを下げる
さて、リスクをゼロにしようとしたりするだけでなく、単にリスクを減らすにも相応のコストがかかります。
一方、社会全体のコストは有限です。
現在、Aというリスクがものすごく高いが、ほとんどコストを掛けずに下げられるのに、ほとんど下げられないくらいリスクが低くなったBに、コストを掛ける、みたいなことをしていると、コストの無駄遣いによるCというリスクが発生することだってありえます。
よって、有限のコストを使っていかに効率よく、全体のリスクを下げるかが、重要となります。
そのため、エンドポイントを揃えて、様々なリスクを計算し比較する必要があるわけです。
リスクは受容するもの
あるリスクをゼロにするには、他のリスクが発生したり、今あるリスクが高まる可能性も考えないといけません。
つまり、すべてのリスクをゼロにできないわけです。
言い換えれば、リスクというのはある程度、受容しないといけない、受容せざろう得ないことを意味しています。
しかし、できることなら、リスクは小さいほうがいいに決まっています。
だからこそ、有限のコストを効率よく配分し、人々が安心して暮らせるよう、様々なリスクを少なくとも、受容できるレベルまでは下げる必要があるわけです。
逆に言えば、極端に集中して1つ2つのリスクの回避に全力を注ぐということは、全体のリスクを上げる事にほかなりません。
リスクとは、「全体のリスク」を「効率よく」「許容範囲内まで」下げることを目標に考えるべきものなのです。
労務管理上のリスク
労務管理上のリスクは様々
では、会社は労務管理上のリスクについて、どのようなスタンスで挑むのがいいのでしょうか。
まず、労務管理上のリスクと一口に言っても様々です。
労働条件が悪ければ、労働者が監督署に申告に行って調査に入られる、というリスクもあるし、裁判で訴えられるリスクや、合同労組やユニオンが団交に来るというリスクもあります。
上記のような場合、会社に非があるので仕方ないところもありますが、労働者がプライベートのSNS上で炎上させて、結果、会社にも被害がおよぶ、というようなリスクも最近ではあります。
また、中には因縁めいたモノをつけてくる労働者もいて、雇用された当初からそうしたことを狙っている場合もあります。こうなると、人を雇うことそれ自体がリスクと言えなくもありません。
全体のリスクを効率よく許容範囲内まで下げる
前回、リスクとは、「全体のリスクを効率よく許容範囲内まで」下げることを目標に考えるべきものであると、述べました。
労務管理上のリスクも当然、考え方は同じです。
上にも上げたように、労務管理上には様々な種類のリスクがありますが、どれか1つに的を絞るのではなく、全体の中で突出して高いものを中心に、時間などの人的リソースやお金をなるべくかけないで行う、というのが大事になります。
人間なので、自分の気になるリスクを中心に対処してしまいがちですが、そのように視野狭窄的な対応を行うと、リソースを無駄にしたり、他のリスクに無防備になる可能性があります。
労務管理上のリスクのエンドポイントは損害額
上記のような考えでリスクと向き合うには、エンドポイントを揃える必要があります。
エンドポイントを揃えなければ、全体のリスクを定量的に比較できないからです。
労務管理上のリスク、というよりも、会社にまつわる様々なリスクのエンドポイントとして適切なのは、やはり「損害額」なのではないかと思います。損害額が利益よりも多ければ、会社は潰れてしまうわけですからね。
例えば、監督署から調査のため調査官が来ると、対応しているあいだ、労働者や経営者の時間は利益を生みません。利益を逃しているという意味で、損害が出ているし、できなかった仕事分の帳尻合わせのために残業等を行えばその分も損失です。
これが裁判となれば、長期間での対応は必至で、判決の結果以前に、対応に費やされる時間や労力がそもそも損失となります。
労務管理上のリスクをゼロにしたかったら人を雇うの止めるしかない
すでに述べたように、労務管理には様々なリスクがあります。しかし、すべての会社が、すべてのリスクに対応できるわけではありません。また、すべてのリスクをゼロにすることもできないし、そうすべきでもないでしょう。
どうしても、ゼロにしたいなら、人を雇うのを止めるしかありません。
(もちろん、人を雇うことには利益というか、いい事もたくさんあるのですが、今回はリスクの話をしているので、そのへん全部端折ってるだけ)
世の中にゼロリスクがなく、それを追求すると新たなリスクが生まれる可能性がある以上、ある程度のリスクは受容する必要があります。これは労務管理だろうと他のリスクだろうと一緒。
ただし、リスクの高い事象をそのまま放置しておくのは得策ではなく、少なくとも受容できる範囲内までは下げる必要があります。しかし、リスクを下げるには多くの場合、コストがかかり、1つのリスクに目を奪われては他のリスクにさらされる可能性があります。
就業規則は「効率よく」「全体のリスク」を下げる
では、どうやって、労務管理上のリスクを「全体のリスクを効率よく許容範囲内まで」下げればいいのでしょうか。
この一助となるのは間違いなく就業規則です。
就業規則は社労士に作成を依頼すると、10万円以上はする、決して安い買い物ではないですが、その一方で、全体のリスクを網羅的に抑えることができます。
労働法の考えでは、就業規則の規定にどのように書かれていても実態のほうが大事、というのはあるものの、就業規則にキチンと書かれているかどうかが何より重要なこと、というのも現実と存在するのも確か。
もちろん、就業規則は周知徹底が原則なのでそれができないと「許容範囲内まで」下げることは難しいかもしれません。
ただ、就業規則がないのであれば作成する、就業規則が古いのであれば新しくする、それだけでも全体のリスクを下げられるのは確かだし、監督署の調査による是正勧告を少なくない数減らせるのは間違いないでしょう。


