先日、ある勉強会で、よりよい会社運営をしていくには、会社の内外や社員、あるいは社員の家族等まで、経営者自身がその認識を広げると同時に、それらを正しく認識しないといけないという話がありました。
認識が狭いと、起こった問題に対してその狭い認識内で対処せざるを得ずそもそも問題にも気付けない。また、正しく認識していないと起こった問題に対して間違った手順や方法で問題に対処することになり、結局、根本的な解決をできず、さらには問題を悪化させることになるからです。
言われてみればごく当たり前のことですが、それをできている人は少ないでしょう。
例えば、先日、日頃から「うちは終身雇用だ」と胸を張るニコニコの川上量生氏に対して、その元社員が「ふざけるな」と言わんばかりのブログ記事を書き、「焼きそば」という言葉とともに一部で大きく話題になりました。詳細は省きますが、両者の話を読み比べれば比べるほど、トップの認識不足・誤認識の問題なのは明らかのように思えます。
(この件については、人事コンサルタントの城繁幸氏の考察が非常に鋭くて興味深いです)
今や日本のネットメディアの代表的存在であるニコニコ動画のトップですら、物事を広く正しく認識するのは難しいわけです。
正しく認識できないわけ
断っておきますが、わたしは別に認識が狭い上にそれらを正しく認識できない、とニコニコの川上氏を批判しているわけではありません。
むしろ、人間というのは物事を正しく認識するのが非常に不得手な生き物でありそれが普通だと思っています。ここでいう正しい認識とは、物事を客観的に合理的に認識することであり、主観的な偏った認識をしない、という意味です。
なぜ、正しい認識をするのが難しいのかといえば、人間は非常に直感に頼った認識をしがちだからです。例えば、1桁の算数をうんうん考えて解く大人はあまりいません。脳に負担をほとんどかけないままパッと見てパッと解きます。これと似たような判断や認識を人間は日常的に無意識に行っているのです。
逆に、複雑な因数分解を解くには、意識を向け、注意をはらい、脳に強い負担を強いらなければならず、思考も遅くなります。そして、脳に強い負担がかかるので、普段はこうした遅い思考をしないようになっています。
2003年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは前者のような直感的で早い思考をシステム1、後者のように遅い思考をシステム2と名付けました。好き勝手に自動で作動するシステム1をシステム2がコントロールしている、というのがカーネマンの考える意識モデルですが、システム2には物事に対して注意を払える限度、容量が決まっているため、システム2はいつもシステム1を持て余しています。システム1はその早さ故に、システム2の隙を見てはエラーや間違いを犯しがちなのです。
(システム1とシステム2の存在が信じられない方は、一昔前に流行ったニンテンドーDSの脳トレをやってみることをおすすめします。表示された文字を発声する課題で、黄色い文字で赤とか、青い文字で黄色などと表示されると、文字色を言おうとする意識と文字を読もうとする意識がぶつかりあい上手くいきません。文字色を言おうとする意識がシステム1、ルールに則って文字を読もうとするのがシステム2なのです)
認識にはバイアスがかかる
こうしたシステム1のエラーがバイアスです。バイアスというのは心の錯覚と呼び変えてもいいでしょう。
例えば、人の一部分だけを見て、その人の全体を判断してしまうハロー効果というのはその典型だし、ハロー効果によって、その一部分だけをずっと見続け、その一部分に対する自分の考えを補強するような出来事ばかりを収集しそれ以外のことは無意識的に取り込まない、というのは確証バイアスと呼ばれるバイアスに当たります。
あるいは、同じことが書かれているが、一方は手書きで汚く、もう一方はワープロソフトできれいに書かれていると、後者のほうが正しいことが書いてあると錯覚しやすい。これは認知が容易なものを真実と考えやすい、というバイアスが働くためです(認知容易性)。
おまけに、システム1には信じやすく騙されやすいという、性質があるので、こうしたバイアスがかかった認識を一度してしまうと、それを取り除くのが困難となります(信じない、というのはシステム2の働き)。
幸い、バイアスとはある特定の状況で決まって起きる系統的なエラーなので、どのようなときに人の認知にバイアスがかかるのかを知っていれば、注意することはできるし、バイアスによって致命的な失敗を避けることもできるでしょう。
世の中の全ての人が行動経済学に基いてこうしたバイアスを避けることができるかは置いておいても、会社の経営者のように、幅広く、それでいて正しい認識が求められる立場の方々にとっては必須の学問だとわたしは考えています。