労務管理と行動経済学

インセンティブを前払いしてみるとどうなるか(労務管理と行動経済学)

2015年6月8日

前回の続きといえば続きです。今回は労働とインセンティブの話をもう少し掘り下げたいと思います。

インセンティブの効果、すなわち鼻先のにんじん効果をできるかぎり高め労働者に仕事を頑張ってもらいたいのであれば、インセンティブを与えるタイミングをできるだけ早くする必要があります。あとで詳しく述べますが、結果が出る前に与えたっていい。

なぜなら、人間には双曲割引と呼ばれるバイアスがあり、遠い先の将来の10万円にはそれ以下の価値しか感じず、今すぐもらえる1万円にはそれ以上の価値を付けてしまいがちだからです。

なので、半年に1回の賞与でその査定期間、労働者全員がその賞与のために頑張ってくれるとは考えづらい。せいぜい賞与の支払われる直前に頑張るのが関の山でしょう。これは年に1回から2回の定期昇給も同じです。

さて、ここからが今回の本題ですが、では、インセンティブをどのように与えるのがより効果的なのでしょうか

勉強とインセンティブ

これを考えるに当って、前回でも少し触れた小中高生の学習効果とインセンティブの実験は多くのことを示唆してくれます。

実はこの実験ではインセンティブを与える時期だけでなく、インセンティブの支払い方法も2種類試されており、1つは非常にオーソドックスな方法、つまり、テストいい成績を取った子供にインセンティブを支払い、そして、もう1つはテストの前にあらかじめインセンティブを支払っておき、一定の成績が取れなかったらそれを没収するという方法を取りました。

普通に考えると、後者は仮とはいえインセンティブをすでにもらっているため、気が緩みそうです。逆に前者のオーソドックスな方法の方が、まだ報酬を手にしていない分頑張ろうとしそうなものですが、結果は後者のほうが成績が向上しました

これは、人間の心理に備わっている損失回避性によるものと考えられます。損失回避性とは利益よりも損失のほうを過大に評価するバイアスのことです。

後者の子どもたちはすでにテストの前から報酬を手にしていました。そのため、報酬を手放したくない、損失を回避したい一心で勉強を頑張った結果、前者の子どもたちよりも成績が向上したと考えられるわけです。

この損失回避性の観点から考えると、勉強できない・成績の悪い、本来他よりももっと勉強しないといけない子どもたちよりも、勉強のできる・成績の良い、もうそれ以上勉強する必要あるの、と思える子たちの方がきちんと勉強する理由がわかると思います。勉強できる子どもたちは、今の自分の順位を失いたくないから勉強するのです。

トリンプの課長代行制度

労務の現場でも、この先払いと没収の組み合わせは十分効果を発揮します。

その実例の一つがトリンプ・インターナショナル・ジャパンの課長代行制度で、代理ではなく、代行なのがポイントです。
 
トリンプの課長代行制度では、見込みのある若い労働者に課長代行として本来の課長と同等の仕事をしてもらうそうなのですが、2年の間に本当の課長になれなければ、元の職務に戻ることになります。

「人は教育できない。自ら育ってもらうのだ」という吉越元社長の考えを反映し、できるだけ早くそういった立場に立ってもらって経験を積んでもらうためのこの人事制度ですが、その意図とはまた別に、課長という役職というインセンティブを前払いしておき、期待に沿わなければその地位を没収してしまう構造を持っていることが、ここまで読んでいただいた方にはわかるでしょう。

課長の立場によって得られる経験だけでなく、こうした構造による損失回避性もまた労働者の成長に大きく貢献していることは想像に難くありません。

より効率のよいインセンティブ制度を制定るするのであれば、双曲割引に加えこの損失回避性についても考慮しておいたほうがよいでしょう。

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  • この記事を書いた人

社会保険労務士 川嶋英明

社会保険労務士川嶋事務所の代表。「いい会社」を作るためのコンサルティングファーム「TNC」のメンバー。行動経済学会(幽霊)会員 社労士だった叔父の病気を機に猛勉強して社労士に。今は亡くなった叔父の跡を継ぎ、いつの間にか本まで出してます。 3冊の著書のほか「ビジネスガイド」「企業実務」などメディアでの執筆実績多数。

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