どんなに楽観的な人間も、何の必要性もあるいは予兆もないのに最悪の結果を想像してしまうことがあります。例えば、健康診断に行く前、「自分はきっと癌で、今日それが発覚するに違いない」 とか、こんなに毎日毎日飲み会で飲んでたらいつか肝臓がいかれてしまう、みたいな感じで。
なぜ、こうした最悪のイメージを人間は前もって予想してしまうのかといえば、このように予想しておけば、予想した最悪の結果が実際に起こった場合も、心理的なダメージを最低限に抑えることができるからです(その副作用として、起こらなかった際の喜びも最大化できる)。
例えば、こんな実験があります。
2つのグループに分けた被験者のうち、一方には最大レベルの電気ショックを20回与え、一方には20回のうち3回だけ最大レベルの電気ショックを与えました。その結果、3回しか最大レベルの電気ショックを受けていない被験者の方が心拍数や発汗量が多く、被験者本人による恐ろしさの評価も高いという結果出ました。
20回とも最大レベルの電気ショックを受けた被験者は、電気ショックのレベルを予想できたが、3回の被験者はいつその最大レベルの電気ショックが来るか予想できなかったからです(20回のグループは最大レベルの電気ショックを連続で受けるうちに電気ショックの強さに順応した、という側面もあるが、それだけでは3回しかそれを受けてないグループの身体的・精神的な結果は説明できない)。
労働者は何に不安を抱くか
人はほとんど自動的に先のことを予想します。先のことを考えるから不安になったり怖れを抱いたりもするわけですが、上記の実験のようにその予見可能性が低くなると、その不安や恐怖は拡大されてしまうのです。
これを労務管理の現場に当てはめてみるとどうでしょう。
「何かミスをしてしまった」とき、労働者は自分に何らかの懲罰があるのではと不安になります。
「故意ではないが会社に損害を与えてしまった」ときも、同様です。
「不正な行為を行っていたことが会社にバレた」ときは、まあ、自業自得と言えなくもありませんが、会社からの懲戒だけでなく、警察の厄介になることも想像するかもしれません。
上記のような労働者が何に不安や怖れを抱いているのかといえば、それは、ミスや不正により「減給」されたり、「降格」されたり、「解雇」されたりするんじゃないかということです。言い換えれば、解雇や減給されることに労働者の多くは不安や恐れを持っていると言えます。
先読みできることの心理的にプラスな影響
自分がなにをしたら「減給」されたり、「降格」されたり、「解雇」されるのかがわからない、つまり、先のことがわからない環境、というのはいつ最大の電気ショックがくるかわからない状態と同じと言えます。
例えば、中小のワンマン企業のような場合、経営者の気分次第で減給されたり、解雇されたりでは、労働者は自分がいつそうなるか予見することは不可能に近く、なにもなくてもストレスや不満は溜まっていきます。
そこまで酷くなくても、遅刻や早退が咎められる場合とそうでない場合が不明瞭だったり、その対応が人によって異なる場合なども同様です。つまり、規定できちんと定めるだけでなく、それを会社全体として守っていく必要があるわけです。
最初に述べたように、最悪の結果をイメージすることにはそのダメージを最低限に抑える効果があります。その効果をより高めるためにも、労働者が不安に抱きやすい要因については、あらかじめその予見可能性を高める努力をしておくべきでしょう。
多くの社労士や使用者側の弁護士は「労働者と裁判になったことを考えて」、就業規則をきちんと整えることを薦めたり、労働契約書の内容を法律や判例に基づいたものにするよう薦めます。
しかし、実際に起こされるかもわからない裁判のことより重要なのは、就業規則や労働契約を整えることによって、減給や解雇といったことが労働者自身に起こりうる予見可能性を高めることです。予見可能性を高め、あらかじめ労働者の心理的なダメージを最小化しておいたほうが裁判を起こされる可能性だってグッと減るはずです。