本業とは関係ない趣味的なことなのですが、今月発売の東京グラフィティ(1月号)という雑誌に寄稿させていただきました。あっ、寄稿って言ってもTwitterと大差ない150字ほどでノーギャラですけど、まあ、そこも趣味ってことで。
向こうから連絡があるまで正直、東京グラフィティという雑誌のことは知りませんで、寄稿のお礼代わりに一冊送ってもらって、それをパラパラ読んでみると、なんというか、オシャレな感じと意識高い感じがいい感じに混じり合った、いかにも若い人のための雑誌ですねえ。正直、わたしのような薄汚れた大人には胃もたれしてしまいそうな雑誌です・・・(遠い目)。あっ、なんだか書かなくてもいいこと書いてますなあ、わたし。
で、寄稿させていただいたのは「熱烈ファンが選ぶ作家・監督別作品ランキング」という特集で、村上龍さんの「愛と幻想のファシズム」の書評です。
過去のブログ記事でも書いているとおり、というかこの過去のブログ記事がきっかけで話が来たんですが、わたしには熱心な村上龍ファンだった時期があり、彼の作品を読み漁った時期がありました。その中でもわたしが最も面白いと思った作品が「愛と幻想のファシズム」でした。
「愛と幻想のファシズム」は、恐慌(不景気)がファシズムを生むという過去の歴史を踏まえ、1980年代後半にバブルではなく恐慌が起こった日本を舞台にした作品で、これは雑誌での連載当時からするとごく近い未来となります。また、主人公の鈴原冬二(トウジ)と相田剣介(ゼロ)の名は、後に社会現象を起こす新世紀エヴァンゲリオンのキャラクター名にもなっています。(ちなみにエヴァの庵野秀明監督の初実写作品は村上龍のラブ&ポップ)
危機感を刺激される
わたしが愛と幻想のファシズムを初めて読んだのは23~4のときだったはずです。大学をやめて東京から地元の名古屋に帰ってきて、叔父の事務所の手伝いこそしていたものの、まあ、とにかく精神的には鬱屈していて思い出すのも嫌というか、思い出しても何も見つからない、あらゆる意味で空っぽな時期でしたね。
本書のあとがきで著者が、(日本的な)システムそのものへの憎悪がこの作品のテーマだと述べていますが、わたしにとってもシステム、特に学校というシステムはあらゆる意味で憎悪の対象だったのは間違いありません。
貧困にあえぐIFの日本の姿や精密すぎるほどのグロ描写、そして、私設軍隊を持つ独裁者が政権を握っていく過程などなど、私達があたりまえだと思っているもの(システム)を根こそぎ破壊していく描写は、わたしに強いカタルシスを与えてくれました。そして、それと同時に自分もなにかをしなければならないという強迫観念のような強い危機感も与えてくれました。
今回あらためて(時間がなかったのでパラパラと、ですが)本書を読んでみてもそれは同じでしたが、カタルシスよりも危機感の方をより強く感じたのは、今の自分が何者でもない何も持っていない20代前半の若者ではもうないからでしょう。また、アベノミクスの失敗や財政破綻が現実化していることによる恐慌の可能性が日増しに高まっていることもその原因の一つかもしれません。
30年近く前の作品とは思えないリアルさと危機感に満ちた本書、年末年始の読書におすすめです。