減給や解雇は労使間でトラブルになりやすいイシューですが、前回説明したプロスペクト理論を応用するとその理由がよくわかります。
減給や解雇というのは言うまでもなく、労働者からすれば損失です。損失は利益よりも心に与える影響が大きく、そのため人間はたいてい損失をできるだけ回避したがる(損失回避性)というのが前回までの話でした。
その点、減給は現在の給与からの損失だし、解雇は将来得られるはずだった利益すべての損失で、それらを徹底的に回避したいと考え、ときには訴訟も辞さないという気持ちもよくわかります。
これは経営者側に視点を移しても同じです。解雇裁判の場合、正社員の解雇には2千万かかるとも言われていますが、裁判で勝てばその損失はゼロで済む。ADRや労働審判ならば、100万円ほどで手打ちにできる可能性があるのに、裁判まで突き進んでしまう経営者が少なからず存在する理由でしょう(といっても最近は、決着が早くつくこともあり裁判よりも労働審判での解決のほうが一般的のようですが)。
そして、プロスペクト理論では損失回避性に加え参照点が加わります。
例えば、最初会社に入った時の時給が1000円で、昇給で1100円に上げてみたものの、上げた途端、働きがいまいちになったので翌月すぐに1050円に下げる、みたいなことがあった場合、客観的に見れば下がったとはいえ、元の時給の1000円よりも50円高いのだから別にいいと思うかもしれません。
しかし、下げられた本人の参照点はすでに1100円に変わっていて、50円といえど減給は減給、労働者の不満はたまってしまうわけです。
逆に、減給の際に補償金という形でなんらかの、例えば減給分の給与半年分、といった補償を労働者に与えると、その補償金が参照点となり、損失のショックを和らげることもできます。もちろん、人間は利益よりも損失のほうが強く感じやすいので、損失と同レベルの利益(あるいはそれ以下)では必ずしも十分とはいえませんが。
結局、人間は古い経済学者が考えるような合理的な存在ではなく、いちいち期待値みたいな論理的な考えをしない非常に非合理的で直感的な存在なわけで、労務管理の場でも、法律だけでなくそうした人間の心理についてもきちんと踏まえていく必要があるわけです。
プロスペクト理論で言えば、労働者に不利となる事柄があった場合、それが労働者の心理に与える損害はどれくらいなのか、また、参照点はどこにあるのかを踏まえておくと、無用なトラブルを避けられる可能性が高まるわけです。
心理学も法律も完全なものではありませんが、労務管理が人を扱う業務である以上、社労士としてどちらも上手く使っていきたいものです。