昨日に引き続き電通の話。
あれ以上するつもりなかったけど、ネタが浮かんだので軽めに。
過労死自殺のような、痛ましくて、しかも企業風土や企業体質が根本の問題としてある事件が起こると、どうしても「企業に対する取り締まりを厳しくしろ」的な論調がでてきます。
別に規制や取り締まり自体が悪いとは思いません。
しかし、現在の労働基準監督官の数(平成25年度の総人数は3,198人)と労動時間で、何百万とある日本のすべての企業を取り締まるのは不可能でしょう。
じゃあ、数を増やして、となると、みなさんが大嫌いな「公務員の人件費」が増えます。
労動時間を増やしたら、残業代が増えるだけでなく、労働基準監督官が過労死するかもしれません。
いずれにせよ、そのコストは誰が負担するの? という話になります。
法律を守らせるコスト
例えば、こちらの記事で主張されているように、
電通新入社員自殺に考える、労働環境を整備することの本当の意味
労務監査をする、それ自体は悪いことではないですよ。
でも、だからといって「労働者が1人でもいるなら義務」というのは理想だとしても、コスト度外視過ぎ。
労務監査の法律だって作るだけならタダですが、法律を守らせるにはそれを守らせる人が必要なわけですからね。
刑法だったらそれは警察だし、労働法だったら労働基準監督官です。
労働基準監督官がやるにせよ、今現在でも各都道府県の社労士会でも労務監査に動いているところはあるので、社労士がやるにせよ、それ自体は別にいいのですが、そこにかかるコストを無視するのであれば、法律・制度は「作って、はい、おしまい」です。何の意味もない。
ここでいう、労務監査を行う人間の人件費はもちろん、会社の人の時間をもらう、という意味で相手の会社のコストも意味するので、そのコストの分、労働生産性だって下がるでしょう。つまり、日本の経済にとってもマイナス。
国の制度だってコスパが重要
規制は強めれば強めるほど、そのコストは高くなる。
とある労働法の大学教授なんかも、よく労働基準監督官がしっかり取り締まりを、みたいなことを言いますが、それだってタダじゃないわけです。
もちろん、コストがかかるから、対策・対応しなくていいのか、というとそういうわけではありません。
言いたいのは、法律や制度だって商売と同じ、コストパフォーマンスを高めることは重要だ、ということです。
実現に1兆かかる政策よりも、1000億や100億で同じ効果が得られる政策の方がいいに決まっているわけですから、コスパを高めて、より良い労働環境を作ろうよ、という話なのです。
そのためには、解雇規制の緩和などのように労働市場の流動性を高めることの方が、規制を次々と強化するよりもコスパも効果も高いのでは、ということで、わりと昔から、わたしはこのブログで解雇規制の緩和に賛成しているわけです。
どっちも開業して1年目くらいに書いた記事なので、結構怖いもの知らずな感じで書いてますなあ。
いずれにせよ、労働市場は正直です。
労働者からの人気がなくなれば、かつてのすき家のように労働環境を改善しないと事業を継続できない状況にすぐに追い込まれます。
今、ほんとうに必要とされている法律や制度というのは、そうした状況を作り出すもの、なのではないでしょうか。