わたしぐらいの年代(20代後半から30代前半)というのはホリエモン世代といいますか、良い意味でも悪い意味でも堀江貴文に影響を受けたことがあるのではないでしょうか。彼が近鉄球団やニッポン放送の買収等で世間を騒がせている頃、というのがちょうど大学生ぐらいでしたからね。彼の登場は、就職以外しか人生の選択を考えられなかった当時の大学生たちに対して、実際にするかどうかはともかく、起業という選択肢を現実的なものにした気がします。
そんな彼の話題の本「ゼロ - なにもない自分に小さなイチを足していく」
わたしは堀江貴文氏をTwitterでフォローしていますし、有料メルマガも登録していますが、つい最近まで本書を読む気になれませんでした。というのも、本書の感想の多くがちょっと警戒してしまうほどの絶賛・好評価だったから。それも、一般の人たちやネットメディア上の書評だけでなく、私が普段からフォローしているキュレーターの多くがそうだったので、裏の裏、逆の逆みたいな天邪鬼状態になってしまっていたでしょう。
結論から言えば、もっと早く読めばよかった。
昔、彼が時代の寵児として活躍していたころの本をいくつか読んだことがありますが、それに比べるとかなり静かというか冷静な印象をこの本からは受けました。しかし、刺激がないかと言えばそうでもない。というか、「刺激を受ける」という言葉はすでに陳腐化していて、なんでもない普通の人が割と普通のことを経験しただけで言うようになっています。そのため、この本の感想で、「刺激を受ける」という言葉で片付けるのはあまりに生温い気がします。
本書は大まかに言えば、彼の生い立ちを中心とした自叙伝的な前半部分と、彼の考え方等を端的に表した自己啓発的な面の強い後半部分という構成になっています。うがった見方をすれば、前半でぐっと著者と読者の距離を縮めて、後半部分の説得力を高めるという手法と言えるかもしれません。が、それはまあいいでしょう。
本書を読んでいる最中、特に本書後半部分を読んでいる最中、私は常に不安と高揚感を同時に感じていました。
不安にさせるだけの本なら世の中にたくさんあるし、人をいい気持にするだけの本も世の中にはたくさんありますが、個人的には良い本を読んでいる時というのは、この不安を伴う高揚感を得ていることが多い。それは、不安を感じながらもそれさえ解消できれば自分はもう一歩先に進める、という感覚で、それが高揚感につながるわけです。
ただ、勘違いしてほしくないのは、この本は単なる自己啓発本ではない、というか、著者自身もそんな気持ちはないでしょう。あくまでこの本はありのままの堀江貴文を伝えるための本であり、その意味で、こっちが勝手に自己啓発されているわけです。
ただ、それと同時に自己啓発された部分に関しては、どんどん具体的な行動に移さなければ、と自分に誓わせる力もありました。具体的な行動の伴わない自己啓発なんて絶対に風化するに決まっているわけですから。