就業規則の作成を売りとする同業の先生方のホームページを見ると、よく就業規則を「会社の憲法」と例えています。
しかし、はっきり言ってこれは全くの間違いです。
彼らがどういった意図で就業規則を「会社の憲法」と例えているか、私は知りません。就業規則の重要性を一言で表すためのわかりやすさを重視してのことだとしても、憲法の本質を理解していれば、このような例えは恥ずかしくて死んでもできないのではないでしょうか。
では、憲法とは何でしょうか。
Wikipediaによれば、「憲法の本質は基本的人権の保障にあり、国家権力の行使を拘束・制限し、権利・自由の保障を図るためのもの」としています。ここで疑問がわきます。誰が国家権力の行使を拘束・制限し、誰の権利・自由を保障を図っているのでしょうか。答えは言うまでもありません。国民が国家権力の行使を拘束・制限することにより、国民、すなわちわたしたちの権利・自由の保証を図っているのです。
つまり、憲法とは国民が国の権力を制限するためにあるわけです。
近代憲法の歴史は一般市民(貴族も含むが)による権力者に対する革命や戦争の歴史です。清教徒革命や名誉革命(名誉革命は無血革命とも呼ばれるがまったく無血であったわけではない)、アメリカ独立戦争、フランス革命の結果として、権利章典、アメリカ独立宣言、フランス人権宣言が生まれました。そうした命がけの血生臭い歴史によって、現代の一般市民は国から多くの権利を保証されているのです。
翻って、表題の質問です。就業規則は会社の憲法なのでしょうか?
就業規則が会社の憲法なのであれば、労働者が会社の権力を制限するものでなければなりません。
しかし、就業規則の作成は基本的に会社もしくは社会保険労務士が行います。就業規則を作成する際に使用者が労働者に対して負う義務は、使用者は就業規則の作成と変更について、当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合(当該労働組合がない場合には労働者の過半数代表者)の意見を聴き、監督署への届出の際にその意見書を添付することだけです。さらにいえば、労働者側の意見がたとえ反対意見であっても、就業規則の内容が合理的なものであれば、就業規則の効力に影響はありません。
ようするに、就業規則の作成に対して労働者ができることはほとんどないわけです。
これのどこが「会社の憲法」なのでしょうか?(続きます)