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電車でみんながスマホを見てるなんて全然「異様な光景」じゃない

2015年11月15日

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日曜日ということで今日はちょっと軽め。

最近読んでる小説(2ヶ月半で300ページのスローペースだけど)に、「電車でみんながスマホを見ている光景は異様だ」みたいなことが書いてありました。

読み終わったら書評を書くんだと決めてから幾星霜。読み始めるきっかけとなったSEALDsももう往時の勢いはなくなっちゃったし、むしろ今となってはISによるパリのテロと絡めたほうがよさそう。

 

先に言っておきますけど、これから書くことは別に小説の筆者を批判する目的はないし、というか、小説内の登場人物の描写がイコールで筆者の考えというわけでもないのは百も承知。また、スマホを持ってない世のおじさんおばさんたちからすると、電車にかぎらず、街にいる多くの人がスマホをいじるという「同じ動作」をしている状況は異様に見える気持ちはわからないでもありません。見た目だけなら北朝鮮のマスゲーム見てるようなもんだ。

でも、ちょっと待ってくださいよ、みんながスマホを見ているからといって、見た目通り「みんながスマホを見ている」と受け取ることは正しいことなのでしょうか、というのが今回の話。

 

スマホを見ている人を昔に置き換えると

例えばスマホではLINEなどのSNSができます。ゲームやネットだってできます。あるいはニュースを見たり、本を読むこともできます。

これが一昔前なら、LINEはガラケーでのメールでした。ゲームはDSやPSPなどでした。電車内で情報収集したり、ニュースを知るには新聞や雑誌を読むのが普通でしたし、本は電子書籍ではなく紙の本でした。

何が言いたいかというと、スマホというのは、ガラケーの役割も、ゲーム機の役割も、新聞や雑誌の役割も、紙の本の役割などに置き換わっていて、それ以外のことだってできてしまう機器だということ。

だから、電車の座席に座っている人たちが、みんな並んでスマホをいじっているからといって、やってることがみんな一緒とは限らない。むしろバラバラだと考えたほうがいいくらいで、ある人は昔で言えば新聞を読んでたかもしれないし、ある人はゲームボーイをピコピコやってたかもしれない、ある人は紙の本を読んでいたかもしれない。

過去のこうした光景は異様だったでしょうか?

こうやって見方を変えると、電車内の風景がちょっと変わって見えませんか?

少なくともわたしは異様だとは思いません。というか、そういう光景を見るたびに世界を変えた凄い機器だなあとスマホに敬意を払っちゃうくらい。あっ、スマホを見ている人に敬意を払ってるわけじゃなくて、あくまでスマホという機器に対してです。

 

とりあえず、見た目に惑わされてはいけないと思いますよ、わたしは。

もちろん歩きスマホや自転車漕ぎながらのスマホを肯定する気はないし、自動車運転中なんてもってのほか、というのは当然の話なのであしからず。

 

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  • この記事を書いた人

社会保険労務士 川嶋英明

社会保険労務士川嶋事務所の代表。「いい会社」を作るためのコンサルティングファーム「TNC」のメンバー。行動経済学会(幽霊)会員 社労士だった叔父の病気を機に猛勉強して社労士に。今は亡くなった叔父の跡を継ぎ、いつの間にか本まで出してます。 3冊の著書のほか「ビジネスガイド」「企業実務」などメディアでの執筆実績多数。

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